私は安楽死賛成派。
2019年に立候補していた、安楽死制度を考える会の佐野秀光さんの公約が理想的。
でも、5年くらい前から政治に関心を持つようになったけど、安楽死の実現は難しそうだ。実現しても消極的安楽死の拡大?くらいだろうと思う。
話は急に飛ぶけど、1年位前?Youtubeのオススメ動画で、とあるサムネが目に留まった。
70代くらいのおじいさんで、末期がんで余命僅かの人が最期に海を見に行くという動画だった。
私の父も70代で余命宣告されているけど、知らないおじいさんには全く感情移入しなかったので動画に興味が沸かず、スルーした。
でも、ずっと頭の中に残っている。
子供や若者で自死してしまう人は多い。死因1位らしい。
でも、最近私自身が年を取ってきたことで、何だか腑に落ちるなと思えたのだ。
私は40代になったけど、若いころからずっと死にたいと思っていた。首を吊ったこともある。非定型なのもあってか、全く死なないどころか首も締まらなくてやめちゃったんだけど、、、。2005年くらいでネットで調べることは出来なくてやり方が間違っていたのかもしれないけど。
若いころは「未練」はあったかもしれない。
もしかしたらワンチャンあるんじゃないか、諦めて死んだら後悔するんじゃないかみたいな迷いとか。
でも、「愛着」はあんまりない。
この世に誕生して、若いころだから人生駆け足どころか毎日全力疾走。
この世の中の人や物を味わう?ようなことは全くしていなかった。
だから、簡単に捨てられた。
この世を捨てることは簡単だった。
でも、40代になると体がボロだから全力疾走するわけにもいかず、立ち止まったりゆっくりすることが増えた。
街並みが変わったなぁとか、あの人年取ったなぁとか、ゆっくり考えることが増える。
変化を寂しいなとか思ったりして、昔の曲とかを好んで聴くようになったりする。
中でも、海と空は子供のころから変わらない。
40年以上変わらず側にある空と海に段々愛着が沸いてくる。
70年以上になるとどうなんだろう、海と空と別れることに名残惜しさでいっぱいになるかもしれない。
正直、あのYoutubeのサムネを見たときに、「もう70年も生きたからいいじゃない。未練がましいなー」くらいに思っていた。
長く生きたからこそ名残惜しくなることが分かってきた今は、もうそんな風には思わない。
それでも今も早く安楽死したいと思うけど。